杏山カズサの選択 4Bマリオネット

杏山カズサの選択 4Bマリオネット


目次 前話


 

(あ……)

 

パキリ、と意図せず小枝を踏み折ったかのような感覚。

同時にズシリと体が重くなり、手からマビノギオンが零れ落ちた。

地面に転がされ、ホシノの怒りをぶつけられている今の状況で、銃を手放すなど自殺行為だった。

それでも、これ以上は手に力が入らなくなってしまったのだ。

抵抗のなくなったカズサを見て、ホシノが腹を蹴るのを止めた。

 

「うん? 黙り込んじゃってどうしたの? ならカズサちゃんにはしばらくおとなしく――」

 

「……ぐすっ」

 

「? ……!?!?!?」

 

涙を浮かべて鼻を啜るカズサに、ホシノが目を見開く。

ツンと鼻を刺す刺激が溢れ、枯れたはずの目から一筋二筋と涙が流れ落ちていく。

心が折れたのだ。

頼みの綱であった力すら遠く及ばず、怒りと憎しみによって突き動かされた激情は、ホシノのさらなる激情でもって上から叩き潰された。

服の内に手榴弾を仕込んではいるが、ここまで無傷であったホシノをこれ一つで倒しきれるほど、カズサは自惚れてはいない。

諦めずになおも馬鹿みたいに反抗することができれば、どんなに良かっただろう。

カズサは馬鹿になりきることもできず、今や諦めるという選択肢しか残されてなかった。

 

「ヨシミ、ナツ、アイリ……ごめん、ごめんなさい……」

 

ボロボロと溢れる涙を拭う事すらできず、友人の名前を呼びながら泣きじゃくるカズサ。

彼女たちを止められず、助けられなかったことに深い悲しみが押し寄せる。

 

「……あ~、うん、その……ごめんねカズサちゃん、おじさんやりすぎちゃったよ」

 

ぐずぐずと泣き続けるカズサに毒気を抜かれたのか、ホシノはカズサの手を取って起こしてあげた。

傍目には暴力を振るってから優しくする構図にしか見えないが、そのことを指摘するような者は周囲にいない。

 

「ほらほら、良い子だから、ね? 泣き止んで」

 

カズサの頭を抱えて、砂に塗れた髪を撫でつけるホシノ。

子供をあやすように背中を軽く叩く姿に、思わずカズサの声が漏れる。

 

「どうして……」

 

「ん?」

 

「どうしてハナコなの? 私じゃ……ダメだったの?」

 

「うへ……」

 

カズサの怒りと殺意は正当なものだった。

友人を奪われた怒り、麻薬を広める悪に対する嫌悪と殺意があった。

だがその根底には信じていた人に裏切られた悲しみと、ただ1人置いて行かれた寂しさがあった。

 

ホシノはハナコを頼りにした。

カズサではなく。

ホシノはヒナを戦力としてアテにした。

カズサではなく。

 

そのことに気付いて、でも認められなくて、ギリギリと悲鳴を上げる心に鞭打って、怒りと憎しみで蓋をして殺すと声高に叫んでいた。

怒り、憎しみ、殺意、痛み、悲しみ、無力感の全てがない交ぜになって心の箍が緩んでしまったがゆえにこぼれたカズサの素直な声だった。

もしホシノがカズサに最初から砂糖を盛っていれば、そもそも敵対するようなことにはならなかったのだから。

 

「……おじさんには答えられないや」

 

「ぐすっ、卑怯者ぉ……死んじゃえばか……」

 

「うん、ごめんねカズサちゃん」

 

腕を振り上げ拳を叩き付ける。

あれだけ鉄壁であったホシノにあっけなく当たるが、当然のことながらダメージは無い。

行き場のない激情を吐き出すように何度何度も叩くが、銃ですら傷つけられないホシノにとっては子供の駄々でしかなかったのだろう。

無理に止めさせることもせず為すがままにさせ、自身は変わらずカズサの頭を撫で続けた。

耳に微かに聞こえるホシノの鼓動に力を無くし、やがてカズサの意識は段々と闇に飲まれていった。

 

「ごめんねカズサちゃん、殺されてあげるわけにはいかないよ」

 

「————————————————————— 」


―――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「う……ここは……?」

 

「お目覚めですか~?」

 

目を覚ましたカズサは、少女たちに囲まれていた。

 

「怪我はひどくないみたいね、良かったわ」

 

「あはは……今この状況そのものが良いとは言えないと思いますけど」

 

「あんたたちは……?」

 

周囲に視線を向ける。

カズサはどうやら1人の少女に膝枕をされており、そのカズサを囲むように2人の少女がカズサが目を覚ますのを待っていたようだ。

 

「黒見セリカよ。まったくホシノ先輩ったら! やりすぎにもほどがあるわ」

 

「奥空アヤネです。傷は深くないみたいですけど、痛むところはありますか?」

 

「十六夜ノノミです~。無理はしちゃダメですよ~?」

 

「……そう、あんたたちが……」

 

アビドスの制服を着た少女たち、窓のない部屋にいる彼女たちが、いわゆるアビドス廃校対策委員会のメンバーということだろう。

ホシノが監禁してまで大事に守っていた少女たちだということに、カズサは気付いた。

 

「杏山カズサ……こんなの大した怪我じゃないからすぐに治る。それよりそっちは?」

 

自身の体に走る痛みはまだあるが、そこまで重いものではない。

それよりもカズサの目には、対策委員会の少女たちがあちこちに包帯を巻いていることの方が気になった。

治療はされているようだが、頬には大きいガーゼが貼ってあったりするので痛々しい。

 

「もしかしてホシノのやつ……!」

 

「ああ、えっと……これは別に、ホシノ先輩にやられたわけじゃないんですよ?」

 

「私たちが逃げ出そうとした時に、追っかけて来た兎の飾り耳つけた子たちにやられたのよね……あーイライラする! こっちが丸腰じゃなかったら返り討ちにしてあげたのに」

 

「えっと……ごめん。私が部屋を破壊したから」

 

ホシノが虐待しているのではないかと意識が及んだ時、すぐさま否定が返ってきた。

暴行の有無関係なく監禁している時点で虐待ではあるが、思っていたことと違う答えにカズサが肩透かしを食らう。

 

「良いんですよ~。元から逃げ出すつもりでしたから。少し早まっただけです」

 

「そうね。ここに居ないってことは、シロコ先輩は無事逃げられたってことだろうし」

 

「あとはシャーレの先生に伝えてくれれば、きっと動いてくれるはずです。私たちは待ちましょう」

 

「カズサちゃんもゆっくり傷を治してくださいね。ここは窓はないですけど、お風呂もトイレもあるし、ご飯も最近は美味しいんですよ~」

 

「まあ多少は認めてあげてもいいけどね。でも途中軍用レーションみたいなの出してきたときは馬鹿にしてんのかと思ったわ。あたしに作らせろって叫んだもの」

 

「あはは、それなら最初の冷凍食品オンリーだったころの方がまだ味は良かったですもんね。すぐにちゃんとした手作りの料理に切り替わりましたし声が届いたんでしょうね」

 

「……強いね」

 

監禁されても尚諦めることなく脱走の機会を伺う。

カズサの凶行に便乗して即座に行動に移し、1人を逃がし切る。

こんな環境でも食事の批評ができる程度のゆとり。

怒りはあれど憎しみの光はなく、襲撃を掛けたカズサを心配する精神性。

これが対策委員会。

砂糖で暴走したホシノの身内だから同じぐらいにイカれている、と思っていたカズサにとって理解しがたい感覚だった。

 

「ねえカズサ、元気になったら話をしましょ。ここだと最近の話題があんまりないのよね」

 

「テレビはあるので映画を見たりゲームしたりはできるんですけど、こっちから情報を発信できないんですよね」

 

「カズサちゃんから見たホシノ先輩の話も聞きたいです☆」

 

女三人寄れば姦しいというが、やはり彼女たちは話のネタに飢えているようだった。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「時々見かけないなって思ってたけど、そんなことしてたのねホシノ先輩」

「学校終わった後の時間まで一緒に行動すること少ないですもんね」

「ホシノ先輩、昔はもっと尖ってたんですよ~」

「え!? ほんとに? あのふにゃふにゃした先輩が?」

「強いのは知ってますけど、尖ってたなんて……あんまり想像付きませんね」

 

「食事が多少良くなったのは認めるけど、たまにはデザート欲しいと思わない? 華の女子高生なのよ私たち」

「ミヤコさんに相談してみましょうか?」

「でもカズサちゃんのお話だと、甘いもの全般ダメっぽいですよね~」

「砂糖のお菓子はダメでも、フルーツなら何とかならないかしら?」

 

「アヤネちゃんはハナコさんと話したことあったよね。何か言ってた?」

「あの時はシロコ先輩助けるのに夢中で、雑談みたいなことはできてなかったかな」

「つながりがあったなんて初耳です~」

「ホシノ先輩って、たらしよね」

「そう、ですね」

 

「他校の受験勉強見てあげるって、ホシノ先輩、面倒見良いですよね~」

「いや話の論点そこ!? 深夜に喧嘩したときに共闘してお互いを認め合うって、漫画じゃないんだからおかしくない?」

「でもキヴォトスでは深夜でも暴れてる人なんて日常茶飯事だし……」

「……あーそれもそうだった。アビドスって人少ないからあんまりそういう騒動無かったの忘れてたわ」

「今はたくさんいるみたいですけどね~」

「それも私たちが知らない間にね……悔しいったらないわ」

 

「スイーツ部、か……それは怒るのも仕方ないわ」

「おいしいはずの砂糖でそんなことになるなんて、しかも堂々とお店出してまで広めてるなんて思わないですもんね」

「ホシノ先輩もハナコさんも砂糖を摂っていて、最近ではゲヘナの風紀委員長も砂糖を摂ってこっちに合流したっていうし……信じらんない、何考えてるのあの先輩」

「困った先輩ですね~、一度メってしてあげないと」

「そうよ! 一発ガツンと言ってやらないと気が済まないわ!」

 

「シロコ先輩無事にたどり着けたかな……」

「きっと大丈夫ですよ、シロコちゃんは強いですから~」

「そう、そうよね……弱気になんてなってられない。いざってときのために体が鈍らないようにしておかないと」

「カズサさんも一緒にストレッチしませんか? ……はい、ありがとうございます」

「外に出られないってこと以外は至れり尽くせりなのよね。まあそれが致命的なんだけど」

 

カズサという新しい存在を受け入れた彼女たちの会話は、やはりというべきかホシノに関わる話が多かった。

カズサと対策委員会の少女たちをつなぐ点はホシノであり、時折脱線しながらもホシノにまつわる話に収束する。

彼女たちは互いに普段知らないホシノの顔を知ることになり、尽きることない話のネタとして擦られ続けていた。

時折過激な発言が出ることもあったが、文句があるなら顔を出せとでも言わんばかりだった。

ホシノとしてもそれが分かっているのか、少女たちとの接点をミヤコだけに絞って、自身は終ぞ顔を見せようとはしなかった。

 

だがその四方山話も、いずれ終わりを告げる。

砂祭りの開催が迫っていた。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

――ドオオオォォォンッ!!

 

窓のない部屋の中でも聞こえるその音に、少女たちが顔を上げる。

 

「砂祭り……始まっちゃった」

 

「最近ミヤコさんも忙しそうにしてましたし、時間の問題でしたね」

 

「結局、私たちは何もできなかったんですね……顔も見せないし、ホシノ先輩もどうでも良かったんでしょうか」

 

悔しさに歯噛みするノノミ。

その気持ちはここにいる全員が持っている感情だ。

なぜもっと早く気付けなかったのか?

どうにかすることができたんじゃないのか?

そんな感情がグルグルと渦を巻いている。

特にノノミは、借金を直接的にどうにかする手段を持っていた。

強引にでも返してしまっていれば、あるいはホシノが暴走することもなかったのかもしれないと、タラレバでも考えてしまうのだ。

 

「……それは違うよ、ノノミ」

 

「カズサちゃん……?」

 

うつむくノノミに声を上げたのはカズサだった。

 

「アンタたちの事情は、あんまり知らない。でもホシノは可愛い後輩がいるって、誇らしげに言ってた。どうでもいいなら、わざわざ時間と手間をかけてまでこうして監禁なんてしてない」

 

ホシノにとって対策委員会の後輩たちがどうでもいい、なんてことは絶対にないとカズサは断言する。

どうでもいいなら砂糖を与えて放逐すればいいし、気に入らなくても砂糖の中毒にしてしまえば依存と快楽で従えられる。

あえてこうしているということに理由はあるはずだ。

 

「中毒者じゃないミヤコを料理人に据えてまで砂糖から遠ざけていたんだ。どうでもいいなんてことはない。だから、えっとその……元気、出しなよ」

 

「……うふふ、ありがとうございます~」

 

不器用に慰めようとするカズサに絆されたのか、ノノミの声色が軽くなった。

カズサがホッと胸を撫で下ろしていると、ふいに扉がノックされる。

ミヤコが食事を差し入れる時間ではなかったため、どうしたのかと皆が目をやると、扉の小さな窓からひょこりと少女が顔を出した。

 

「あ、カズサ! ようやく見つけました! こんなところに居たんですね」

 

「あんた……アリス?」

 

「はい! アリスはアリスです!」

 

少し会話したことがある程度のカズサを、アリスは覚えていた。

 

「どうやってここに……?」

 

「外は砂祭りの真っただ中なので、騒ぎに乗じて潜入しました。カズサ、戦力が足りないのでアリスたちを助けてはくれませんか?」

 

「なんで、私を……?」

 

「それはですね……」

 

それからアリスが語ったことは、信じがたいような現実だった。

砂糖の脅威はカズサの想像を超えて恐るべきスピードで広まっており、各学園は対処に追われてまともな判断ができていない。治療薬も見つかっていなくて、ミレニアムはいっそのことアビドスを殲滅しようと巡航ミサイルまで開発をしているという有様だった。

 

「だからカズサ、アリスはそれを止めたいです。アリスと一緒に、ホシノと戦ってはくれませんか?」

 

「わ、私は……」

 

アリスの懇願に、是と応えるべきだとカズサは思う。

けれど一言うんと頷くことができない。

カズサは一度、諦めてしまったから。

自身の全力でもってホシノに挑み、それでも届かなかったことが、カズサに暗い影を落としている。

声が枯れたように返事ができないカズサを見て、アリスは首を傾げた。

 

「ダメ……ですか?」

 

「……アリス、ホシノはそんなに弱い奴じゃない。私たちが2人どころか、もっと人を集めたって敵うかどうかなんだ。直接戦った私はそれを知ってる」

 

「アリスたちだけでは敗北イベント確定なのですね……ではプランBです!」

 

「は? プランB?」

 

「はい! 臨機応変に対応するためにヒマリからいくつか言われています」

 

「そのプランBっていったいなに?」

 

「対策委員会のみんなを誘拐します!」

 

極端すぎるプランがアリスの口から出てきて、カズサが目を丸くする。

誘拐とはまた穏やかではない表現だ。

 

「ちょっとアンタ、アリスって言ったっけ、私たちを誘拐するだなんて、どうしてそんなことになったのよ?」

 

話のやりとりを見守っていたセリカが、たまらず声を上げる。

アヤネやノノミも訝しげだ。

 

「問題はミサイルが発射されないように抑えて、時間を稼ぐことです。そのためにもアビドスには、治療薬ができるまでおとなしくしていてもらわなければいけません」

 

今までアビドスは砂糖の魔力で強引にことを推し進めていた。

だがそれもいつかは限界が来る。

好き勝手され続けた各学園が、ただやられるだけと思ったら大間違いだ。

報復合戦が始まり、キヴォトスは炎に包まれるだろう。

アリスのプランBでは、泥沼の殺し合いになる前に互いに交渉のテーブルに付けるようにする必要があるらしい。

人質として対策委員会を誘拐して、アビドスに引き篭もっているホシノを引きずり出す。

そしてこれ以上砂糖を広めるなと交渉し、互いに不可侵にして時間を稼ぐ必要があるのだ。

 

「信じらんない!」

 

声を上げたのは、やはりセリカだった。

 

「私たちを連れて行って、交渉するだけで無事に終わるなんて思えない」

 

「そうですね。アビドスは恨みを買いすぎています。ミサイルで諸共殲滅しようと考えている人たちが、私たちを見逃してくれると信じるのは楽観的すぎます」

 

セリカの叫びに、アヤネも追従する。

恨み骨髄まで浸透しているミレニアムに行って、アビドス廃校対策委員会の面々が関係なかったからと素直に受け入れてくれるだろうか?

魔王ホシノの寵愛を受けていたとされる対策委員会が、実は砂糖など一粒も摂らずに過ごしていたなど、信じてくれるだろうか?

信じたとして、それは火に油を注ぐことにしかならない。

私たちはこんなに苦しんでいるのに、あいつらはそんなことも知らずのうのうと過ごしていたのか、と。

 

「そんなことはさせません! アリスは、アリスは勇者なんです。だから……」

 

「そんな言葉信用しろっての? 1人で来ているアンタだってただの鉄砲玉じゃない」

 

「う、うう~」

 

「止めて、セリカ」

 

「え、カズサ……?」

 

声を荒げるセリカを制したのはカズサだった。

 

「アリスは単純だから、勇者として本気で止めると思うよ」

 

「そ、そうなの?」

 

「うん、だからここで問答していても意味がない。それにずっといても、何もできない。だから出よう」

 

「でもカズサさん、私たちはアビドスで」

 

「私はトリニティだよ。それに……異常なホシノと比べたら、他の奴らを相手にした方がよっぽど楽だ。大丈夫、護衛任務ならアリスで経験してるから」

 

「はい、カズサは強いです!」

 

カズサの言葉にアリスが補足し、セリカとアヤネは言葉を失い互いにどうしようと目で会話していた。

 

「……」

 

「ノノミ、どうしたの?」

 

「……いえ、ホシノ先輩が心配するかなって思いまして~」

 

「そんなこと? これだけ私たちを振り回してるんだから、ちょっとくらい心配させてやりなよ。アリス、そんなに長いわけじゃないでしょ?」

 

「はい、全てのリソースを治療薬開発に向けられれば、きっとすぐに出来ます」

 

「だってさ。行こう?」

 

「分かりました~。ホシノ先輩はちょっと寂しがりやだから、追ってくるかもしれませんね~」

 

「そんなことになったらまた二の舞だ。急ごうアリス」

 

「はい!」

 

そしてアリスにより扉を破壊され、監禁されていた彼女たちは久々に自由を得た。

足腰が萎えないように部屋の中でも鍛えていたことにより、途中で脱落することもなく揃ってアビドスを脱出する。

断続的に打ち上げられる花火、大成功を収めて喧騒の絶えない祭りの会場から、彼女たちは人知れず姿を消したのだった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

ゴトリ、とホシノの手から銃と盾が零れ落ちる。

目の前には破壊された扉があり、中に居たはずの少女たちの姿は無く、もぬけの殻だった。

 

「終わり、か……」

 

砂祭りは成功を収めた。

だがそれが監禁されていた少女たちにとって何の意味がある?

自分たちが知らないところで起きて終わったものに、何の価値を感じる?

当然のことだと、それでも止まれないとブレーキの壊れた頭でホシノは砂祭りを強行した。

 

「結局、私が間違っていた」

 

その結果が、この誰もいない部屋なのだ。

初めから間違っていた問題で正解など出せるはずがない。

守ろうとした意志は害となり、ホシノへの愛想を尽かさせた。

 

「ああ……寒いよ……」

 

心にぽっかりと開いた穴に、風が吹く。

通り抜ける度に泣き声のように響くそれが、ホシノの脳裏に木霊する。

凍えるような寒さに身を縮こまらせ、ホシノはガタガタと体を震わせながら蹲った。

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

アビドスを脱出したカズサたちは、ミレニアムで迎えられた。

拷問でも受けるかもしれない、と警戒していたもののそんなこともなく、いっそ拍子抜けするようだった。

ヒマリの派閥は殲滅派のセミナーと対立しており、交渉を進める点でも拷問など非効率的なことをしている余裕など無かったのかもしれない。

そしてカズサはヒマリと顔を合わせていた。

 

「こうして直接お会いするのは初めてですが、お久しぶりですね、カズサさん」

 

「まさかここまでスムーズにいくとは思ってなかったけど……さすがは全知ってところなのかな」

 

「これでも天才清楚系病弱美少女ハッカーですから……対策委員会のお三方は今健康診断を受けてもらっています。あの方たちは監禁が長期に渡っていますからね、何かあってはいけないので」

 

「減らず口が消えてないようで安心したよ。交渉はうまくいくの?」

 

「必ず成功させます。でなければキヴォトスは滅ぶでしょう」

 

断言するヒマリの言葉に、カズサは心強さを感じた。

ホシノたちが交渉のテーブルにつくか、という問題があるが、砂糖を摂取させずに大事に内に囲っていたくらいだから大丈夫だろう。

自暴自棄になって投げ出すようなことがなければ、彼女たちを心配して出て来るはずだ。

 

「……うらやましいな」

 

「? 何か仰いましたか?」

 

「いいや! なんでもない」

 

頭を振って思わず洩れた言葉を打ち消す。

自分は諦めてしまったのだから、そんなことを考える資格は無いと。

訝しげな視線を向けるヒマリだったが、直後にけたたましい通信音が鳴り響いた。

 

「エイミ、どうしましたか? 緊急の連絡だなんて何が……え?」

 

取り出したスマホから聞こえた内容に、ヒマリが目を見開いた。

 

「アビドスで白旗が立ってる? どういうことですかそれは……まだ交渉も何もしていないというのに。ホシノさんたちは何をするつもりでしょう?」

 

「え……?」

 

傍にいたカズサにも、漏れ聞こえた声が耳に入った。

白旗はまだいい。

だが続くその言葉の意味が理解できず、思わず声が上がった。

 

「ホシノたちが……しんだ?」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

逃げ出してきた時の喧騒とは打って変わって、アビドスは今や不気味に静まり返っていた。

シャトルランのように往復して辿り着いたアビドスの校舎で、カズサはそれを見下ろしていた。

 

「どうして……?」

 

カズサの心は疑問の声であふれていた。

どうして、なんで、何があったの?

入れ替わり立ち代わり、言葉にならない声が漏れる。

だってそうだろう。

目の前では、ホシノたち三人が、死んでいたのだから。

 

「『ヘイローを破壊する爆弾』で自害しました。ヒナさんとハナコさんも後を追って……」


 「なんで!?」


耳に響く誰かの声を遮り、カズサは困惑の声を上げる。

 

「ありえない、コイツ……死んで勝ち逃げしたっていうの? そんな……そんなはずがあるか! だってホシノだぞ? あのホシノが、こんなに簡単に死ぬわけがない! きっと寝てるだけに決まってる」

 

「ちょっと、何をするんですか!? 止めてください!」

 

静止の声を振り切って、カズサはホシノの胸倉を掴んで引っ張る。

 

「ねえ起きろ、起きろってば!」

 

ホシノに縋りついて声を荒げるカズサ。

しかし体を揺らしても耳元で叫んでも、ホシノは抵抗することもなく、ダラリと腕を下げるばかりだった。

その頭に、ヘイローは輝かない。

 

「起きてよ、ホシノ……」

 

「手を放してください。生前が何であれ、死者をこれ以上辱めるというなら容赦はしません」

 

万力のような力で腕を押さえつけられ、強引にカズサは手を放させられる。

そこで初めて、カズサはホシノたちの傍にミヤコが立っていたことに気が付いた。

糸の切れた人形のように崩れ落ちたホシノを見て、もう動かないのだとようやくカズサは実感した。

 

「カズサ、大丈夫ですか?」

 

心配そうに声を掛けるアリスの事すら無視して、カズサはへたり込んだままだった。

 

「なんで、自殺なんか……」

 

「あなたたちが逃げ出したからでしょう?」

 

「……え?」

 

「厳重に守っていた籠の鳥が逃げ出してしまった。衝動的に行動してもおかしくはありません。ハナコさんとヒナさんは……まあホシノさん大好きでしたからね。後を追うのも理解できます。それにしても『ヘイローを破壊する爆弾』なんてもの、どこから手に入れたのか知りませんが」

 

淡々と事実を述べるミヤコに、カズサの心がギリギリと悲鳴を上げた。

だってそうじゃないか。

怪しむセリカたちを説得して、全員で逃げることを決めたのはカズサだった。

ホシノに適わないからと諦めて、ホシノ以外なら勝てると高をくくって、これなら何とかなると手段に飛び付いた。

その結果がこれだ。

砂糖中毒者は怒りっぽく、短絡的で視野が狭くなる。

そんな人間の心の拠り所を奪ってしまったらどうなるかなんて、カズサも理解していたはずなのに。

 

『ごめんねカズサちゃん、殺されてあげるわけにはいかないよ』

 

あの時、頭を抱えて髪を撫でつけられて囁かれた言葉だ。

朦朧とした頭で聞こえた言葉。

ぼやけて判然としないからどうでもいいと切って捨てていたはずの言葉が、鮮やかな彩で蘇る。

 

『優しいカズサちゃんを人殺しにはできないからね』

 

「あっ……」

 

あの時、カズサを人殺しにさせないために、ホシノはカズサを止めた。

それなのにホシノは自殺してしまった。

直接手を汚していないから何だというのか。

カズサが死に追いやったのと何も変わらないではないか。

 

「わ、私が諦めた、から……?」

 

あの時、諦めずに手段を模索していれば、ホシノを止めることができた?

無駄なことを考えて、どうしようもないチャンスを逃してしまった?

 

「カヒュッ……ヒッ、ぐ、ううう……」

 

「カズサ? カズサ! 息をしてくださいカズサ!」

 

「ショックでの過呼吸です! 急いで応急処置を!」

 

ホシノに手を伸ばそうとするが、カズサの身を心配した少女たちによって引き離される。

自身が運ばれてどんどんと小さくなっていくホシノの姿に、酸素不足で朦朧とする意識の中、カズサは理解した。

 

(私がいなければよかったんだ)

 

(私が何かを想ってしまったことが、全ての間違いだった)

 

(なら、こんな私は要らない)

 

(何も考えない、お人形でいい……)

 

砕けていく心と共に、カズサの意識は闇の中へと落ちていった。

 

 

 

 

カズサが緊急搬送され、生きている者が誰もいなくなった部屋。

少女たちの遺体だけが眠るその場所で、微かにホシノの指が動いた。

同時にその頭上に、尾を噛む蛇の形をしたヘイローが浮かび上がる。

 

「ウヘェ……からダが死ゴ硬直でパキぱきスるよぉ……」

 

目を開けて体を起こしたホシノの視線が、傍らのハナコとヒナの遺体に注がれた。

 

「2人トも起きテ、続きヲ始めようよ」



キャラ紹介

 

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